Top > 研究内容紹介 > 櫻川教授

「セントラルサイエンスとしての分析化学-分析化学を学ぶ意義-」 教授 櫻川 昭雄

2.分析化学の現状
 2.1 分析化学の社会貢献

 分析化学が社会と密接な関係にあることや、科学の発展あるいは新しい物質の創製に深く拘わりあっていることについてはすでに述べました。すなわち、環境汚染物質の種類や量の検出による環境問題への寄与、警察の鑑識活動に例えられる犯罪や事件解明への寄与、工場の品質管理に代表される工業製品の品質保証への寄与、あるいは配合成分や分子などの構造と発現機能との関係を解明する新製品開発への寄与などが挙げられます。

 2.2 身近な話題としての分析化学
 話は少し古くなりますが、西暦2000年から2002年の3年間にわたって日本の化学研究者が続けてノーベル賞に輝きました。また、1991年には福井謙一博士が「フロンティア軌道理論」で日本人としては化学部門で最初に同賞を受賞しています。2002年に受賞した田中耕一氏の対象となった研究は、「マトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析」で、後から考えれば“コロンブスの卵”ともいえますが、分析化学を専門としている者にとって田中氏の受賞は、多いに勇気付けられました。このことわざが意味するように「当たり前のことでも最初に見出して、理屈を明確にし人間社会で役に立つ利用の仕方を確立する」には、研究(実験)を機械的に漫然として、ただ、実施しているだけでは達成できるものではありません。「失敗は成功の母」の例えのように、実験の成否に拘わらずよく観察し、なぜ期待通りの結果が得られたのかあるいは思っていた結果が得られなかったのか、自分の頭で考えることが重要であります。田中氏の研究もこのような実験の繰り返しが、幾度となく行われていたようです。田中氏の研究では、生体高分子の質量をどのようにすれば正確に測定できるかが、その根幹をなしています。質量分析では物質をイオンの状態、すなわち水素イオンを付加させた陽イオンやあるいは水素イオンを脱離させて負イオンなどのような状態にしないと測定できません。そこで、生体高分子がもつ独自の問題が発生します。人間が不注意で火傷を負ったとき、皮膚の状態の変化が起きることは周知の事実です。また、生米と炊いた米を比較すると、熱による化学変化が起きていることが観察できます。このような生体高分子にレーザー光線を当てて、そのエネルギーによって生体高分子をイオン化するとしたなら、レーザー光線の強いエネルギーにより試料である生体高分子が変化してしまい、結果的には何の質量を測定しているのか分からなくなってしまいます。これを解決したのが田中氏の研究業績となり、ノーベル賞を受賞することになった訳です。
 また、もう一つの例を示すと、映画になり大ヒットしたようですが、100年ほど前に絶対に沈まないといわれ就航したタイタニックという豪華客船がありました。しかし、処女航海の北極海で流氷と衝突し、結果的には沈没してしまいたくさんの尊い人命が奪われました。さて、なぜ沈まないといわれていた船が沈んでしまったのか。最近になってようやく分かったことですが、船の大部分を構成している鉄あるいは鋼の中に、わずか100万分の1(1ppm)程度のホウ素が不純物として混在していると、温度の低い条件では衝撃を与えると鉄あるいは鋼にひびが入り、その隙間から海水が浸入し船が沈没したことが解明されました。この事件も分析化学の技術の進歩がなければ、今でも原因不明のまま不思議な出来事として扱われていたのではないでしょうか。