生物は、生活に役立つ機械・器具・物質を開発するためのアイデイアや方法を提供してくれる宝庫です。飛行機は空飛ぶ鳥を、バスケットシューズの底はたこの吸盤を、強いハニカム構造は蜂の巣をまねて作られたものです。生命の秘密が明らかになるにつれてさらに素晴らしいアイデイアがもたらされることでしょう。その生体をつくっているのはおもにタンパク質です。タンパク質はアミノ酸からできています。

 アミノ酸にはL型(左手型)とD型(右手型)という光学異性体がありますが、なぜか、動物の体のタンパク質はL型アミノ酸だけでつくられています。ところが、D型アミノ酸も生体にあることがわかってきました。例えばヒト大脳の遊離型セリンの20%はD型なのです。このD型アミノ酸は体の中で何をしているのか、また、どこから来たのかを明らかにするために種々の生体材料を使って研究しています。




1.生体中のL-アミノ酸・D-アミノ酸濃度

 生物界は大きく分けると古細菌・細菌・真核生物の3つのグループになります。細菌以外の生物にはD-アミノ酸は存在しないと考えられてきて、L-アミノ酸を天然型アミノ酸、D-アミノ酸を非天然型アミノ酸と呼ぶこともあったほどです。しかし、私たちや国内外の他の研究者の研究により、哺乳類 (真核生物) を含む多くの生物に遊離型のD-アミノ酸の存在が明らかになってきました。

 当研究室では、古細菌 、細菌、昆虫 (カイコの卵、幼虫、蛹、成虫)などについて含まれているL-アミノ酸・D-アミノ酸の微量測定を高速液体クロマトグラフィー (HPLC) により行っています。D-アミノ酸濃度の高い生物やその組織にはD-アミノ酸を生成したり分解したりする酵素の存在する可能性が高いのです。

2.D-アミノ酸をつくりだす酵素

 D-アミノ酸は細菌以外の生物には存在しないと長い間考えられてきたので、D-アミノ酸の合成に関係する酵素も細菌以外では殆ど知られていませんでした。しかし、いろいろな研究の結果、私たちの体のD-アミノ酸は、(腸内細菌や食物から来たものもあるが) 体の中の酵素によってつくられていることがわかってきました。

 ラセマーゼという酵素が、L-アミ ノ酸をD-アミノ酸に変えているのです。酵素は生体反応の触媒でありタンパク質でできています。ラセマーゼにはピリドキサールリン酸 (PLP) を補酵素としているものと、補酵素を必要としない ものとあります。
 ラセマーゼ研究の材料として扱っている生物は、ピロバキュラム(超好熱性古細菌) 、クラミドモナス、カイコ、アフリカツメガエルなどです。これらの生物からラセマーゼというタンパク質だけを多くの他のタンパク質から分離する目的で、カラムクロマトグラフィーを始めとする種々のタンパク質精製法を用いています。得られた酵素の活性は分光学的方法やHPLCにより測定しています。また、DNA塩基配列を読み、遺伝子クローニングを行い、大腸菌に大量発現させて酵素の性質を調べる研究に用いています。酵素タンパク質のアミノ酸配列を明らかにすることもめざしています。    

3.D-アミノ酸を分解する酵素

 D-アミノ酸を分解する酵素として、D-アミノ酸酸化酵素 、D-アスパラギン酸酸化酵素、D-アミノ酸脱水素酵素などがあります。これらの酵素はD型アミノ酸とL型アミノ酸を厳密に区別することができ、L型アミノ酸には働きません。FADを補酵素 としています。D-アミノ酸酸化酵素は脊椎動物と酵母に存在することが知られ、すでによく研究されていて、タンパク質の立体構造も明らかにされています。これに対し、D-アミノ酸脱水素酵素(DAD)は数種類の細菌に存在することが報告されていますがまだあまり研究されていません。

 そこで、私たちはこのDADをラセマーゼの場合と同じように精製し、DNA塩基配列を読み、アミノ酸配列を明らかにすることをめざしています。DADはD-アミノ酸から水素を遊離し、H+ と e- を生じます。電子 ( e- ) は電子伝達系を経て酸素などの最終電子受容体にまで受け渡しされます。この反応と共役して生物のエネルギー源であるATPが作られています。 この電子伝達系を詳しく研究するためにシトクロムなどの構成成分(タンパク質)を精製しています。この研究に用いる材料は、ピロリ菌、大腸菌、ピロバキュラム、ユスリカ幼虫などです。

4.極限環境に生きる微生物

 生物はとんでもない環境に棲むことができます。100℃の熱湯の中、氷の中、空気の無いところ、水の無いところ、塩の中...どうしてこんなことができるのでしょう。私たちはピロバキュラム Pyrobaculum islandicum という超好熱性古細菌を95℃で培養しています。この菌は温度を下げると元気がなくなります。この菌から取り出した (上述の) 酵素やシトクロムの遺伝子DNAとタンパク質の構造を明らかにして、なぜこのような極限環境で生きることができるのかという秘密を探っています。